ちぎり絵は、絵を描くこととは少し違い、制作を始めた時点では完成形がはっきりと決まっていないところに大きな魅力がある表現だと思う。どんな作品になるのかを想像しながら作るというよりも、紙をちぎり、貼り、重ねていく過程の中で、少しずつ形や雰囲気が立ち上がってくる。そのため、完成するまで自分自身も結果が分からず、最後までワクワクした気持ちで制作を続けることができる。最初から完成図を決めてしまうと、その通りに作ろうとしてしまい、失敗しないことを優先してしまう。しかし、ちぎり絵では、ちぎった紙の形や大きさが思っていたものと違うことも多く、その偶然を受け入れながら進めていく必要がある。その偶然性こそが、ちぎり絵の制作をより面白いものにしていると感じる。思い通りにならない部分があるからこそ、予想していなかった表現や発見が生まれ、それが作品の個性につながっていく。
ちぎり絵は、紙のちぎり方や貼り方、重ね方によって作品の印象が大きく変わる。同じ色の紙を使っていても、ちぎる位置や力の入れ方、紙の向きによって質感や表情が異なり、同じものは二つと生まれない。作業自体は地道で、細かい工程の積み重ねになるが、その分、一つ一つの工程に向き合う時間が長くなる。その過程を経て完成したときには、時間をかけて作り上げたからこそ感じられる達成感がある。また、少しずつ紙を重ねていく作業は、集中力を必要とする一方で、単調さも含んでいる。その単調な作業を繰り返す中で、気持ちが落ち着き、余計なことを考えなくなる瞬間がある。ちぎり絵は、作品をつくる行為であると同時に、自分の気持ちと向き合う時間にもなっていると感じる。
私はもともと絵を描くことがあまり得意ではなく、線や形を正確に描くことに苦手意識があった。しかし、ちぎり絵は絵の上手さや技術に左右されにくく、誰でも自分なりの表現を楽しむことができると感じている。線を引くことに苦手意識があると、「うまく描けなかったらどうしよう」「形が崩れたら失敗だ」と考えてしまうことが多い。しかし、ちぎり絵では、もともと紙の形が不揃いであるため、多少のズレや歪みがあっても、それが作品の一部として自然に受け入れられる。そのことが、表現することへの心理的なハードルを下げてくれているように感じる。
紙をちぎることで生まれる不揃いな端や、紙を重ねることでできる段差によって、境界は自然と曖昧になっていく。その曖昧さが、ちぎり絵ならではのやわらかく、どこかあたたかみのある雰囲気を生み出しているのだと思う。この曖昧さは、意図的にコントロールするというよりも、紙という素材そのものが持っている性質から生まれている。きれいに切りそろえられた形ではなく、ちぎった跡が残ることで、人の手の存在や制作の過程がそのまま作品に表れる。その点に、ちぎり絵ならではのやさしさや親しみやすさがあるように感じる。
また、紙を何層にも重ねていくことで、平面の作品でありながらも立体感や奥行きが生まれる点も、ちぎり絵の魅力の一つである。光の当たり方によって影ができたり、見る角度によって印象が変わったりするところに、紙という素材ならではの面白さを感じる。絵の具やデジタル表現では平面として扱われがちな画面の中に、実際の厚みや段差が存在していることは、見る人にとっても新鮮な感覚を与える。触れられそうな奥行きがあることで、作品との距離が少し近くなるように感じられる。
素材の自由さも、ちぎり絵の魅力として大きい。和紙だけでなく、折り紙や新聞、チラシなど、身近にある紙を使って作品をつくることができるため、特別な準備をしなくても始めることができる。普段何気なく目にしている紙が、作品の一部として生まれ変わるところにも面白さがある。身近な素材を使うことで、制作が特別な行為ではなく、日常の延長線上にあるものとして感じられる。捨てられてしまうはずだった紙が、表現の素材として使われることにも、ちぎり絵ならではの価値があると感じる。
普段、スマートフォンを見る時間が多い私にとって、ちぎり絵を制作する時間は、スマホから離れ、ただ黙々と手を動かす貴重な時間でもある。画面を見続けるのではなく、実際に紙に触れ、指先の感覚に意識を向けながら制作することで、気持ちが落ち着いていくのを感じる。ちぎり絵は、作品を完成させることだけでなく、制作の時間そのものにも価値がある表現だと感じている。考え事をしながらでも、無心でも取り組めるちぎり絵の作業は、気持ちを切り替えるきっかけにもなっている。完成した作品を見ると、その時間に自分がどんな気持ちで制作していたのかも一緒に思い出される。その意味でも、ちぎり絵は自分自身の時間や感情を残す表現だと感じている。